をみた。
発端はこの動画だ。当時2歳の男の子が悠然と煙草を吸っている様子が映し出されている。
この男のが住むインドネシアでは、タバコに対する規定が緩く十代の若者が喫煙してもそれを取り締まる法律がない。それどころか町中にタバコ産業の広告が蔓延り、タバコを吸うことはかっこ良く、身体に有害であることすら流布されていない。さらに「タバコでガンが治る」クリニックまで存在する。
(参照: http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2795819/7078373 )
このような悲惨なことが起こるのには、実はアメリカのタバコ産業が深く関与している。
ご存知のとおり、日本を含め欧米諸国では喫煙は身体に毒であり、喫煙者のみならず副流煙によって非喫煙者の
健康までも害するということから、タバコ=悪というイメージが蔓延し、喫煙者は肩身の狭い思いを強いられている。(私もその一人である)
そのおかげで先進国ではタバコ産業は年々縮小する一方である。そこでタバコ産業が目を付けたのは、タバコに対する規制が緩い発展途上国。様々なメディアを使った若者に対するイメージ戦略。政治家に金をばらまき、甘い汁を吸わせ、規制がかからないようにするなど、このような国々はまさにタバコ産業にとってはパラダイスである。
このドキュメンタリーに出てくるインタビューアーは、タバコ会社や政治家たちに対して君たちのやり方はおかしくないか?と問いつめているのだが、彼らの答えは「これで労働が確保され、経済が循環している」というもの。(かなり大雑把に要約している)
たしかに、彼らが言っていることは間違いではない。しかし喫煙で死亡する人は年間40万人、受動喫煙で死亡する人も年間2万5000人もいる。このような人々の医療費も社会的な問題となっているし、人の死に関わる問題である。
このような構造は日本の原発産業と社会との関わりと類似している。
原発が米国から輸入され、資金がばらまかれ、安全神話が広がり、日本は原発大国となってしまった。
去年の震災でその原発の安全性が疑問視され、今も多くの放射能がばらまかれているにもかかわらず、原発が無ければ経済が回らないなどという理由をつけてそれを肯定するものが多い。しかし、メディアはその根拠を示さない。
原発の是非はともかく、問題なのは、電力や鉄鋼が電気事業連合や経団連を仕切っていって、それらを通じて政治家に献金がいき、また電力会社がマスメディアのスポンサーであるために、メディアは彼らを批判するような報道ができないということである。
つまり民意によって原発の是非が問われていないといことが問題なのだ。
このような日本の構造をみると、日本人は先進国として途上国を違って進んでいると思っているかもしれないが、それはハードのみで、その実体はインドネシアなどの国と変わらないのである。われわれはそれを自覚しなければならないし、民度をあげるためにもっと学習しなければならないと痛感する。
私たちはグローバル化によって安く海外に行けたり、海外のものを日本にいながら消化したりとその恩恵を多大に受けているのにも関わらず、もはやグローバル社会を手放しに喜ぶことができないところまで来ているのではないだろうか。
ー終わりー
この男のが住むインドネシアでは、タバコに対する規定が緩く十代の若者が喫煙してもそれを取り締まる法律がない。それどころか町中にタバコ産業の広告が蔓延り、タバコを吸うことはかっこ良く、身体に有害であることすら流布されていない。さらに「タバコでガンが治る」クリニックまで存在する。
(参照: http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2795819/7078373 )
このような悲惨なことが起こるのには、実はアメリカのタバコ産業が深く関与している。
ご存知のとおり、日本を含め欧米諸国では喫煙は身体に毒であり、喫煙者のみならず副流煙によって非喫煙者の
健康までも害するということから、タバコ=悪というイメージが蔓延し、喫煙者は肩身の狭い思いを強いられている。(私もその一人である)
そのおかげで先進国ではタバコ産業は年々縮小する一方である。そこでタバコ産業が目を付けたのは、タバコに対する規制が緩い発展途上国。様々なメディアを使った若者に対するイメージ戦略。政治家に金をばらまき、甘い汁を吸わせ、規制がかからないようにするなど、このような国々はまさにタバコ産業にとってはパラダイスである。
このドキュメンタリーに出てくるインタビューアーは、タバコ会社や政治家たちに対して君たちのやり方はおかしくないか?と問いつめているのだが、彼らの答えは「これで労働が確保され、経済が循環している」というもの。(かなり大雑把に要約している)
たしかに、彼らが言っていることは間違いではない。しかし喫煙で死亡する人は年間40万人、受動喫煙で死亡する人も年間2万5000人もいる。このような人々の医療費も社会的な問題となっているし、人の死に関わる問題である。
このような構造は日本の原発産業と社会との関わりと類似している。
原発が米国から輸入され、資金がばらまかれ、安全神話が広がり、日本は原発大国となってしまった。
去年の震災でその原発の安全性が疑問視され、今も多くの放射能がばらまかれているにもかかわらず、原発が無ければ経済が回らないなどという理由をつけてそれを肯定するものが多い。しかし、メディアはその根拠を示さない。
原発の是非はともかく、問題なのは、電力や鉄鋼が電気事業連合や経団連を仕切っていって、それらを通じて政治家に献金がいき、また電力会社がマスメディアのスポンサーであるために、メディアは彼らを批判するような報道ができないということである。
つまり民意によって原発の是非が問われていないといことが問題なのだ。
このような日本の構造をみると、日本人は先進国として途上国を違って進んでいると思っているかもしれないが、それはハードのみで、その実体はインドネシアなどの国と変わらないのである。われわれはそれを自覚しなければならないし、民度をあげるためにもっと学習しなければならないと痛感する。
私たちはグローバル化によって安く海外に行けたり、海外のものを日本にいながら消化したりとその恩恵を多大に受けているのにも関わらず、もはやグローバル社会を手放しに喜ぶことができないところまで来ているのではないだろうか。
ー終わりー
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